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旅ともうひとつ、学生時代の彼女が「バイトしたお金は全部使った」ほど熱中したのがウインドサーフィンだ。その熱意は、全国大会に出場し、学生のウインドサーフィン連盟の女子実行委員長まで務めたほどだ。
「朝、大学にいくために駅のホームに立ってるでしょ。そうするとだいたい、とってもいい風が吹いてくるんです。風を感じたらもう、下りの電車に乗って海へむかうしかない。おかげで大学には6年間通うことになっちゃった」
子どもが生まれるまでは湘南でサーフィンもやっていたというから、きっと小さなころからアクティブに育ってきたのだと思っていた。だが実際のストーリーは想像とは違うものだった。
アメリカに住んでいたことがあったために「生意気」だといじめられた中学時代。
高校時代には、日本への反発からとにかくアメリカ的であろうとした。当時の彼女にとって「アメリカ的である」とは、消費することと同義であった。アルバイトをしては洋服を買い、いまとは違ってファッション・エディターになるのが夢だったという。自然とは縁の少ない高校生だった。
大学に入学しても、自分がウインドサーフィンと接点をもつとは思ってもいなかった。どちらかというと勉強させる大学で、サークルにそれほど没頭するつもりもなかった。ではなぜウインドサーフィンを始めたのかと尋ねると、新入生の勧誘に必死なサークルがほとんどな中で、リラックスした雰囲気のウインドサーファーたちに惹かれたのだという。
「テレビやインターネットが普及して、科学技術も情報も世の中にあふれているけど、人はいまだに次の日の天気さえ完全に把握することができないでいるでしょ。それって、すごくおもしろい。なかでもサーファーは、いい歳して毎週のように海に遊びにいって、波の形や風の吹く方向一つひとつに一喜一憂してる。いい人種だよね!」
体験で彼らのウインドサーフィンに乗らせてもらうと、いっぺんで波の上を滑る感覚のとりこになった。そして、ウインドサーフィンが彼女に与えてくれた感覚は風を切る心地よさだけではなかった。
彼女が育った日本の家は海から決して遠くない。小さなころには家族で辻堂の海へも遊びにいったし、キャンプにもいった――自分にも自然とのつながりがあったことを、再び自然のなかで遊ぶことに目覚め、思い出したのだという。
「日本とアメリカをいったりきたり、テレビや雑誌ばかり見てて、反発で買い物に走った。自分を見失っていたんだと思う。ウィンドで海を走ると、ごちゃごちゃした気持ちがきれいに流れていくみたいだった」。海は、心身をリラックスさせる心地よさというだけではなく、自分の軸について再考する場でもあったのだ。
「ウィンドサーフィンをはじめて、自分にとって海にいることが自然で気持ちのいいことだとわかりました。この楽しい感じを人にも広めたいと思ったし、海が汚れることに対しては単純に頭にくるようになった。すごく自然に、行動するようになりました」。自分が自分らしくいられる場所を大切にしたいという想いから、愛さんは環境運動にも取り組んでいる。
彼女が環境運動に参加する理由は「正義感からではない」という。「環境運動に取り組むこと、海のあるライフスタイルそのものが、自分のアイデンティティ(自分らしさ)につながっているから」。ピースボートで太平洋の先住民の人びとと出会ったことが、彼女の想いを強くするきっかけになった。
彼らの文化は海の環境が守られていなければ存在できない。海が汚染されたあとに他所で生活することはできても、豊かな海と切り離された生活は、自分たち本来の生き方ではない。自分たちが自分たちらしくあるために、環境保護を進めている――先住民のひとたちの考え方に、彼女は夢中になったのだという。
「楽しいもの、美しいものが壊れたらつまらない世の中になるし、自分の居場所がなくなってしまう。私のモチベーションは楽しむこと。正義感とかじゃないんです。すごく単純に、環境を守ることなしには生きていけない。そういう生きかたでしかないんだよ」
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